湯田美代子(NHK記者)
 2002.09.10中公新書ラクレ「100人@日中新時代」

汪蕪生 Wang Wu Sheng フォト・アーティスト

〜「黄山」に対峙し続ける気鋭の写真家〜

 

この稜線は現実か幻か――、汪蕪生の「中国・黄山」の作品を前にする時、多くの人々が目を凝らして身を乗り出す。幻想的な水墨画のようにみえるが、それはまぎれもなく「写真」で写し出された世界だ。雲海にそびえ立つ山々は神々しく、見るものを沈思させる。

汪蕪生が「黄山」と出会ったのは、1974年、26歳の時だ。当時報道カメラマンをしていた汪は、偶然登った黄山の雄大な景色に心を奪われてしまう。何千年の時を越えてそこにある山々、雲海、樹木。この宇宙の中で人間はこんなにもちっぽけでその人生など瞬間に過ぎない。「これこそ俺の人生のモチーフだ」――、汪は自分の一瞬の人生を「黄山」にかけてみようと決心した。

だが「当時の中国では全員公務員。与えられた仕事をしていたら、撮影に行けない。ずいぶん悩んで結局『黄山』だけに集中する決断をした」。81年、汪は来日。ところが「日本に来てから苦労の連続。郷に入れば郷に従えと頭では分かっていても行動が・・・・・・。相手のことも考えずに、自分の言いたいことだけを言ってしまって。」こんなこともあった。ある日知人を伴って美術館に個展を開いてもらうよう頼んだ。美術館側は、作品は実にすばらしい、検討しましょう、と言ってくれた。飛ぶように喜んで帰り待つこと半年、待てど暮らせど連絡がない。おかしいと、知人に連絡して聞いてみると、相手はその場で断っていたではないかという。日本人とのコミュニケーションがうまくとれないことで四苦八苦する日々が続いた。

その後、汪は確実に躍進。94、95年に国立中国美術館、98年にウイーン美術史博物館で、アジア人初の個展を開催。芸術を深める上で日本から受けた影響は大きいと言う。「中国の文化はダイナミックだけどおおざっぱ。日本は繊細で完璧主義」。汪が今追うのは、黄山の麓にある美しい江南の里。「今、世界中の人が心を病んでいる。テロや戦争、麻薬…。江南の牧歌的な風景を提示することで、自然と共に生き、人間同士が心を開き合えた古きよき時代を思い出してもらいたい」。見る者を昂揚させるダイナミックな作風で邁進してきた汪蕪生は、今、「黄山」の麓に「やすらぎ」を見出し、そのメッセージを世界に向けて発信しようとしている。

45年生。安徽省蕪湖市出身。安徽師範大学卒。写真集に「黄山玄幽」「黄山神韻」等。00〜01年東京都写真美術館で二十世紀を代表する世界のフォトグラファー一〇人に選ばれた。

(湯田美代子)
中公新書ラクレ「100人@日中新時代」(21世紀日中メディア研究会)から